<実践レポート>
 「沖揚げ音頭」社会教育移管への構想
    子ども達の心のよりどころとなる郷土愛の涵養をめざして

石黒 隆一  ※

目次
1 鰊船のある学校
2 沖揚げ音頭
3 浜益小学校の教育活動
4 浜益高校の閉校と浜益の地域課題
5 郷土愛の涵養と沖揚げ音頭の社会教育への移管
6 事前調査と今年度の沖揚げ音頭
7 社会教育への移管に向けた具体的な構想と取り組み
8 地域作りに貢献する学校をめざして

1 鰊船のある学校
浜益は石狩湾北部の日本海に面し、かつて鰊漁で繁栄した地域である。平成22年4月、私は校長として浜益小学校に着任した。
浜益の教育は明治11年の浜益教育所設置に始まる。多い時には地区ごとに10校の小学校が存在していたが、人口の減少に伴い、現在は本校1校に統合されている。学校には各学校の沿革史やアルバムをはじめ長年にわたる教育資料が集約されている。その中で印象的だったのは、体育館物品庫に保管してある鰊漁の漁具の数々と、旧北部小学校に保管してある三艘の漁船であった。これは浜益小学校で取り組んできた郷土芸能「沖揚げ音頭」に使う学校の備品である。

2 沖揚げ音頭
はじめに、今年9月に実施した際の写真を通して本校で取り組んでいる「沖揚げ音頭」について説明させていただく。(なお、本校では過去に本来通り起こし船・枠船・汲み船の役割を担当する3艘の船を使っていたが、児童数減少と演出上の理由から現在は2艘で簡略化している。)
鰊漁で栄えていた時代。春先の群来で鰊が押し寄せてくると、漁師たちは期待に胸をいっぱいにして沖に張った網に向かう。
当時実際に使われていた櫂を用い、勇壮に漕ぐ姿を再現して、浜益小の「沖揚げ音頭」は始まる。次は網起こしである。起こし船に乗った子ども達が腰に力を入れ、息を合わせて鰊であふれる網を起こしていく。
この時に歌われる労働歌が「船漕ぎ歌」と「木遣り音頭」である。
(船漕ぎ歌)「おーしこー ほーらーえー ほいーほー
ほら あの岬かわせば また岬ではる
ほいーよー ほら やーんのさーの」 
(木遣り音頭)「やーせー やーせー ほやーせー やーせー
あらどっこい どっこいしょ あーどっこいやさー どっこいしょ」
次に、網起こしによって枠網に満杯となった鰊をぼち船(汲み船)に移す鰊汲みが始まる。歌は「ソーラン節」に替わる。花形はたもたて役である。曲に合わせて力いっぱい大たも(汲みたも)を操っていく。ぼち船からは、やさかぎでたもを引き上げ、起こし船からはあんばい棒でたもを押し上げる。息が合わないと鰊を船に移すことはできない。地域に残されていた本物の道具を用い、当時のままの力強い動きが再現される。

汲み船から鰊を陸にあげる作業が「沖揚げ」である。あゆみ板を歩いてきた「もっこしょい」が「ぽんたも」担当からもっこに鰊を入れてもらい、陸に運んでいく。もっこしょいは当時、主として女性の仕事で、繁忙期には子どもも手伝っていたようだ。本校では、4年生以下の子ども達が担当している。
本校の「沖揚げ音頭」は、9月中旬に行われる「ふるさと祭り」で披露している。お年寄りをはじめとする地域の方々と観光客は、力強い中にも哀調を感じさせる沖揚げの歌に往時の大漁の風景を偲んでいる。子ども達にとっては、本物の漁具を用い、実際に鰊漁を経験した人からあらゆることを直接教えてもらう体験学習の機会である。石狩管内の教育界では、浜益小といえば「沖揚げ音頭」と連想される認知度と評価の高い取り組みである。
ところが、私が赴任した時、「沖揚げ音頭」は実質的に存亡の淵に立っていた。

3 浜益小学校の教育活動
浜益小学校は、児童数62名6学級の僻地・小規模校である。石狩管内の学校としては最も広い校区は、暑寒別天売焼尻国定公園の一角をしめる豊かな自然環境に恵まれている。地域の自然や文化、人材を活用し、体験的な教育活動を重視した「地域に根ざした浜益ならではの教育」に積極的に取り組んでいる。浜益の魅力が伝わるようないくつかの取り組みを紹介させていただく。
(濃昼山道探索) 
江戸時代に開鑿された古道を復活した「濃昼山道」を歩き、古い三角点や橋を支える石組みを発見したり、ひっそりと咲く花々を見たりして、歴史自然を学ぶ。案内して下さるのは、山道復活に取り組んだ保存会の皆さんである。
(米作り、タニシ学習、もちつき) 
地域から貸していただいている学校の田んぼで、全校児童が米(モチ米)作りを経験している。1.2年生は、農家の方に教えていただいてタニシの学習をし、タニシが藻を食べて水をきれいにすることや、生き物がたくさん住んでいるのは安全な田んぼということを教えていただいている。お米を収穫した後、お父さんお母さん、お世話になっている皆さんや地域のお年寄りをご招待してもちつきを楽しみ、みんなでおいしくいただいている。浜益の大切な地域行事である。
この他にも、前のページで「ホームページに掲載した特色ある教育」に列挙したように、浜益小学校は地域の皆さんに指導していただき、体験的な学習をする機会が豊富である。地域の学校として長年にわたって大切にされてきた伝統が現在もしっかりと息づいている。保護者の学校に対する関心は高く、地域住民の教育に対する期待も大きい。
このような教育環境に恵まれて、子ども達は非常に積極的に諸活動に取り組んでおり、自分の考えを的確に表現する力に優れている。また、少人数の良さを生かした指導が成果をあげており、学習意欲と学力は高い水準にある。

ホームページに掲載した本校の特色ある教育
・濃昼山道探検・黄金山登山
・沖揚げ音頭
・山、川、海での自然たんけん
・学校田での田植え・稲刈り
・収穫したモチ米によるもちつき大会
・タニシ学習
・ジャガイモ学習・アスパラ学習
・自然に学ぶ修学旅行と宿泊学習
・地域の自然を生かした遠足
・パートナースクール
・箏・尺八教室
・図書ボランティア「ひまわりの会」
・放課後子ども教室
http://academic3.plala.or.jp/hamasho/

4 浜益高校の閉校と浜益の地域課題
浜益地区は今、大きな課題を抱えている。本年度末に道立浜益高校が閉校するため、子どもたちが中学校卒業後、必ず区外に出なくてはならない状況となることである。さらに就職時に働く場所が不足しているため、「戻って来たい、戻って来てほしい」という願いはあるが、農業・漁業・自営業等の限られた家庭以外はむずかしいという現実がある。
そこで、この地域課題を踏まえて、次の2点を当面の学校経営の重点とすることにした。

 浜益小学校学校経営の重点(平成23年度)
「どこに出ても通用する確かな学力の定着」
「地域を離れても、心のよりどころとなる郷土愛の涵養」

 この実践レポートのテーマと関係はないが、本校では学力の定着について次の点を重視した取り組みを進め、一定の成果を上げることができている。
・少人数のメリットを生かして基礎学力定着に取り組む。
・体験活動を重視し、「浜益小らしい」学力向上策に取り組む。
・問題意識・課題意識・知的探究心を育てる学習を重視する。
・校内研修を進め、「わかる・楽しい授業」を展開する。
・読書活動の充実を図り、学力の土台となる言語活動を重視する。
・ICT教育の充実を図る。(全学級配備の電子黒板と書画カメラ、児童用タブレットPC、無線LAN、電子教科書等の活用)

5 郷土愛の涵養と沖揚げ音頭の社会教育への移管
写真は、かつて鰊番屋であった浜益郷土資料館と運動会で掲げるために準備している大漁旗である。浜益で「郷土愛」を考えるとき、鰊場所として栄えた歴史を外すことはできない。
ところが、先にふれたように、私が赴任した時、鰊漁の伝統を今に伝える「沖揚げ音頭」は実質的に存亡の淵に立っていた。
「平成23年度から社会教育に移管する」ということが、前任校長の平成21年度に決定していたからである。
決定していたことは次の2点である。

・平成23年度から、主体を社会教育(石狩市教育委員会浜益生涯学習課)に移管する。
・学校の教育課程から外す。

 理由は次の通りであった。

・学習指導要領改訂にともなう総合的な学習の時間の時数削減と、教育課程の見直し。
・指導者の高齢化と病気入院。
・教職員の負担軽減。

 平成11年に、黄金小、中央小、北部小を統合して、現浜益小を開校した際に、廃止する案が検討されたことがあり、何らかの節目に「沖揚げ音頭」をやめたいという案が出るようである。
今回も「社会教育への移管」ということだけが決まっていたため、「学校から離れたら参加を希望する児童が激減して、成立しなくなるのではないか」といったことが、教員や保護者の間で話題になっていた。また、平成22年度の人事異動により浜益生涯学習課から社教主事の有資格者がいなくなったことも、事業の実施にとって不安な要素であった。
また、平成21年度にインフルエンザの流行によって「沖揚げ音頭」を中止したことにより、継続性が途切れていたことも不安を増幅していた。
さて、私は教頭の初任校が浜益と校区を隣接する厚田中学校であり、平成15年に、石教研研究発表会に参加して浜益小学校の「沖揚げ音頭」を見た経験がある。その時に「これぞ地域の財産」と感動した。当時厚田村の教育長をされていた河地良一先生(北大SLP運営委員)から、地域に根ざした活動の重要性・教育的価値を学んでいたことも「沖揚げ音頭」から強い感銘を受けた要因であった。
そのような認識を持つ私にとって、自分が校長となった時に「沖揚げ音頭」が衰退あるいは消滅しかねないという現実は耐え難いものであった。
しかし、対外的な確認事項と校長間の引き継ぎ事項を反故にして、今まで通り学校の取り組みに戻すことは許されない。それならば、社会教育への移管が合意されていることをいかし、学社融合の実を取り、一層の発展を期することにしようと考えた。また、そのことによって、切実な地域課題に対応した「心のよりどころとなる郷土愛の涵養」という学校経営の重点を解決できると考えた。

6 事前調査と今年度の沖揚げ音頭
今年度の取り組みを進めるにあたって、取り組みが始まった当時の状況を、記録やアルバムを調べるとともに、当時黄金小学校に勤務していた野村賢治郎さん、佐藤健二さん(現南線小校長)、黒川淳司さん(現野幌小教頭)、池田元治さん(現上江別小教頭)や、当時児童や保護者としてかかわった方達から聞きとった。また、鰊漁については浜益郷土資料館や北海道開拓記念館等に行ったり、関係する文献資料や映像資料を集めたりして調べた。以下が調査した内容である。
鰊漁が隆盛をきわめたころ、勢いよく歌われていた「沖揚げ音頭」は、昭和30年代以降、鰊漁の衰退に伴って忘れ去られようとしていた。
このような中、平成元年に旧浜益村内の学校公務補(用務員)さんの観楓会が郷土資料館前で行われた時に、館長だった土門勉さんから「沖揚げ音頭」を歌い続ける保存会ができないだろうかという依頼があった。土門館長が学校ではなく公務補さんたちに話を持ちかけたのは、鰊漁の経験者がいることと地域の事情を熟知しているという理由からだったそうだ。若い頃に鰊漁を経験したことがある黄金小学校公務補の野村賢治郎さんは、学校に戻って「黄金小学校で取り組んではどうか」と相談した。
校長と教頭からは積極的な賛同は得られなかったが、上記の若手の先生方が興味を持ち、「これは村の伝統になる。やってみよう」と、まとまったという。先生方は、浜益村史や記録映像などや野村さんの話から「沖揚げ音頭」について調べ、古老からも話を聞いたという。歌詞と楽譜を採録して歌の再現に成功した。
まずは「できることからやってみよう」ということになった。「鰊漁が盛んだった頃の結婚式で、沖揚げ音頭を歌いながら、仲間が網に乗せて新郎を入場させた」という話を聞いて「それならできる」と考えた。卒業式の入場は厳かでなければならないが、退場の場面ならいいだろうと、卒業式退場の場面で歌を再現することに決定し、準備した。その年、5年生に民謡を習っている子が何人かいて、生で歌うことになった。他の子はかけ声を担当した。先生も子どもも一生懸命練習した。子ども達の中に「やーせー ほやーせー」「あー どっこいやさー」というかけ声が楽しそうに浸透していき、地域・保護者からの期待が高まった。
当日、子ども達の歌は本当に上手だったという。復活した「沖揚げ音頭」に、参列した保護者や地域の方、特にお年寄りは涙を流して感動して下さった。
「卒業式で沖揚げ音頭を成功させたとき、浜益の伝統文化を復活させたという喜び、感動、誇りで子どもたちの顔は輝いていた」と、佐藤先生は当時の思いを話してくれた。この卒業式のようすはテレビで紹介されて、反響を呼んだという。
平成2年には「沖揚げ音頭保存育成会」が発足し、学校と地域が連携した取り組みとなった。野村さんが地域の人々に働きかけて、衣装や小道具、大漁旗などが次第に整っていった。船も寄付していただくことができ、盛んだった当時の鰊漁を再現する工夫が積み重ねられた。
写真は、平成2年度の「浜益村民文化祭」である。歌しかなかった卒業式から半年。会場の小学校体育館には、船が配置され、鰊に見立てた浮きが網の中に光っている。
その後も演出に工夫が加えられ、石狩管内のPTA研究大会のアトラクション
など様々な発表の機会を得ながら、浜益小学校の伝統として発展してきた。 
また、イラスト入りの11ページ分の詳しいマニュアルも整備していった。

 さて、調査とは別に、用具の準備も進めていった。永年使用されてきた船は痛みが激しくなっていたので、生涯学習課の寺山主査と本校の公務補二本柳さんとともに、甲板を中心に船の補修を行った。その際、野村賢治郎さんに用具の役割や使い方を聞いたことが、大変役に立った。

 また、今回調べた「沖揚げ音頭」のこれまでのあゆみを、子ども達や保護者、地域住民に知ってもらうために、学校便りとホームページで紹介した。
暑いさなか、子ども達は楽しそうに練習を進めていった。朝学習の時間帯に高学年が低学年の教室を回り、歌を指導する。学校の中に「沖揚げ音頭」の歌声が響くようになっていった。
9月19日ふるさと祭り当日。前夜からの雨は開始直前にやんで、今年の「沖揚げ音頭」発表は成功裏に終了できた。前年にインフルエンザによる空白があっただけに、先生達も子ども達も、成就感にあふれた表情をしていた。

7 社会教育への移管に向けた具体的な構想と取り組み
(1) 全校集会で
振り替え休業の翌日、全校集会で子ども達に昔の写真や当日の写真を見せながら、鰊漁や浜益小学校の「沖揚げ音頭」について話をした。ある先生は学級便りで次のように紹介してくれた。
「昨日の全校集会で、校長先生が写真を示しつつ、昔のニシン漁について説明してくれるとともに、子ども達のがんばりを称えてくれました。私自身、社会科の学習で取り上げることはありましたが、なかなかていねいな説明をすることができませんでした。改めて自分たちのふるさとや一つ一つの学習活動に愛着や自信を持たせてやることが大切であり、そのような活動に生き生きと取り組む子ども達を育てていきたいと思いました。」  
(2) 係からの行事反省
その後、10月の職員会議で、担当の「特色係」から、行事反省が提示された。それに先だって、社会教育への移管は、関係機関との折衝が重要となるので、単独の係で担当するのは困難であることが指摘され、構想と渉外については、管理職もかかわって行うこととなった。
(資料)本年度の「沖上げ音頭」行事反省の一部

その後、現状分析や社会教育移管の目的や留意点を確認し、再編沖揚げ音頭保存会の組織、会則、日程などの基本構想を固めていった。
(3) 現状分析

・平成2年度に成立した「沖揚げ音頭保存育成会」は、現在は機能していない。
・学校が企画・運営のすべてを担当している。
・観光協会はふるさとまつり参加依頼のみ。
・漁業協同組合は、前組合長の個人的な支援のみ。
・指導者である野村賢治郎氏の立場と役割が不明確。       野村氏

(4) 移管の目的

・学社融合の事業とすることで、一層の発展を期する。
・組織体制を整備し、役員や参加団体の役割を明確化する。
・野村賢治郎氏に続く指導者を育成し、持続的な指導体制を構築する。

(5) 移管にあたっての留意点

・社会教育への移管を機に、幅広い層の参加を働きかける。
・教育課程外の活動とする合意事項に基づき、練習時間として「放課後子ども教室」を利用。OBである中学生、若年層と保護者の参加を呼びかけ、コーチや裏方としての役割を担ってもらう。
・学校は、浜益生涯学習課管轄の郷土資料館と連携し、鰊漁に関する社会科におけるカリキュラムと教材を整備。

(6) 会則(案)
そのことを、具体化するために会則の案およびそれを整理した組織図の案を作った。
浜益沖揚げ音頭保存会 会則(案)
第1条(名称)  本会は、浜益沖揚げ音頭保存会と称する。
第2条(目的)  本会は、浜益の鰊漁の繁栄を伝える沖揚げ音頭の伝承と保存を図り、以て地域教育の振興に寄与することを目的とする。
第3条(業務)  本会は、前条の目的を達成するため、次の業務を行う。
(1)沖揚げ音頭の伝承と保存に関する業務
(2)沖揚げ音頭の発表に関する業務
(3)関係機関との連絡調整に関する業務
(4)その他、必要と認めた業務
第4条(組織)  本会は、本事業に協賛する正会員と賛助会員をもって組織し、事務局を石狩市浜益生涯学習課におく。
(1)正会員
石狩市浜益生涯学習課   
石狩観光協会浜益事務所
石狩湾漁業協同組合浜益支所
石狩市立浜益小学校
浜益小学校PTA
(2)賛助会員 
正会員以外の個人及び法人で本会の目的に賛同する者
第5条(役員)  本会は第2条の目的を遂行するため、次の役員をおく。役員の任期は1年とする。ただし再任を妨げない。
会長 1名   副会長 若干名  事務局長 1名  
事務局次長 1名  総務 2名  監査 若干名   
第8条(顧問)  本会には、会長の委嘱により顧問をおくことができる。顧問は会長の諮問に応じ、専門的立場に立って、本会の事業について助言する。
第9条(会計)  本会の経費は、補助金、寄付金、その他の収入をもってあてる。
(以下略)

(7) 組織(案)
会長については、浜益生涯学習課の課長に依頼する予定であったが、平成23年度から専任の課長が廃止され、他の課長が兼務することとなったため、石狩市浜益区のトップである浜益支所長に依頼することにした。
副会長を小学校のPTA会長とし、PTAを正会員に含めることをPTA総会で確認することで、全家庭の協力を得て全児童を参加させることとした。
事務局は浜益生涯学習課主査と小学校教頭が担当し、企画と渉外に当たることとした。
総務は具体的な練習計画や児童の指導を担当する。児童の踊りや動きはこれまで永年にわたって指導してくれた元公務補の野村さんから引き継いで、現公務補二本柳さんが担当する。ちなみに、浜益生涯学習課が小学校公務補を採用する際に「沖揚げ音頭が指導できること」を条件にしており、過去にPTA副会長として学校にかかわった経験がある二本柳さんが、採用されたという経緯がある。
沖揚げ音頭の発足時から今日まで「沖揚げ音頭」で中心的な役割を果たして下さり、その功績から平成20年度に石狩市教育委員会文化功労表彰を受賞されているにもかかわらず、今まで立場が明確でなかった野村賢治郎さんには、顧問として後進の指導に当たってもらうことにした。また、主体を学校から社会教育に移行するため、事業の主体から離れる小学校長も、同じく顧問に位置づけ、特に移管を円滑に行うための役割を担うことにした。
(8) 練習や当日の取り扱い
次に、学校としてのかかわりを整理して、練習や当日の取り扱いを明示する必要があったため、あらかじめ次のように確認した。

 練習 (教育課程外 3時間・放課後子ども教室)
9月 7日(水)5校時終了後(高学年)  
9月14日(水)5校時終了後(全体) 
9月15日(木)5校時終了後(全体)
(歌の練習は朝自習の時間を一部利用して行う)
当日 (9月18日 行事・3時間)
振り替え休業日を確保するため、勤務を要する日および登校日とする。
振り替え休日 (9月22日・木) 開校記念日とあわせ4連休とする。 

 練習時間を水曜日放課後に位置づけることで、中学生の参加が可能になる。コーチや船の移動など裏方の仕事を期待したい。引き継ぎでは「学校の教育課程から外す」ことになっていたが、児童と教職員を原則全員参加としたことから、振り替え休日を確保するため、当日を行事扱いとして調整した。
(9) 物品の管理
物品の管理については、原則として生涯学習課に、保管、連絡調整を含めた移動、設置を担当してもらうこととした。なお、はっぴなど、別行事等にも使用する物品は協議の上で学校に保管することにした。これまでに寄贈していただいた用具のリストを整備し、保管場所を検討した。文化財級の用具が含まれるため、物置ではなく、浜益支所庁舎内の空き部屋に保管することとした。
このことによって、本校職員の負担はかなり軽減されると考えた。
(資料)沖揚げ音頭の備品・一部

(10) 移管へのスケジュール
以上の構想を具体化するために、次のようなスケジュールを立てた。
職員や関係者に説明するにあたっては、北大SLPの実践発表会で使用したプレゼンシートを用いた。
学校と地域社会が連携して、浜益の伝統を伝える地域文化である「沖揚げ音頭」をもり立てていくという構想について、皆さんから賛意をもって受け止めていただくことができた。「学校評議員にも参加してもらおう」といった積極的な意見もいただいた。
12月時点で、石狩市浜益支所長の渡邉隆之さんに会長、本校PTA会長嶋地正孝さんに副会長、野村賢治郎氏に顧問の就任を快諾していただいて、社会教育への移管は円滑に進行しつつある。

8 地域作りに貢献する学校をめざして
私は、「地域に根ざし、人と人の強い絆を生かした教育」の成果と価値を経験し、校長としてそのような教育に務めたいと強く願っている。人と人の強い絆の大切さを、学校、保護者、地域の連携・融合の姿として子ども達に示すことを通して、子ども達に地域住民への信頼を培いたい。さらに一歩進んで、地域奉仕活動を通して人の役に立つ経験をさせて、子ども達に成功経験を持たせ、郷土愛を育んでいきたい。そのために、学校として子ども達の生活の充実を図る潤いある地域づくりに積極的に参画したい。

浜益の子ども達は、こうした期待にこたえうる経験と資質を持っていると、私は考えている。それは、祭りや福祉施設の行事など地域の活動に非常に積極的にかかわっているからである。浜益の祭りは群別から始まり、幌、毘砂別、浜益、川下、柏木、実田などと集落ごとに実施される。集落ごとの歴史を踏まえたそれぞれに特色ある祭りだが、共通しているのは、地区ごとの祭りで、依頼を受けた地区の子どもが中心となり、他の地区に住む友だちをまとめて参加していることだ。主役であり中央で踊っているのは、それぞれの地区の子どもであり、出し物は運動会で取り組んだよさこい「浜っ子ソーラン」や踊り「大漁まつり」である。子ども達のステージは、祭りに欠かせない目玉である。住民の反応は非常に暖かく、それに応える子ども達の表情はとても生き生きとしている。
「地域づくりに貢献する学校づくり」を考えるとき、その主体はあくまで子ども達でなくてはならない。すでにお祭りなど地域行事で大活躍している子ども達は地域づくりの主体として期待できる存在である。
一層の活躍の場として、この実践レポートのねらいどおりに「沖揚げ音頭」の社会教育への移管が実現できれば、子どもはその主体として活躍し、一層の成就感を持つことができると考える。
「沖揚げ音頭」の一層の発展を通して、浜益の地域課題を踏まえた「地域を離れても、心のよりどころとなる郷土愛」という当面の学校経営の重点を実現したいと願っている。

 

(資料)北大SLP実践報告会、発表内容の最終ページ

【参考文献】
・石橋源『浜益村史』、浜益村、1980
・今田光夫『ニシン文化史』、共同文化社、1986
・高橋明雄『鰊-失われた群来の記録』北海道新聞社、1999
・日本海沿岸ニシン漁労民俗調査『ニシン漁労』北海道教育委員会、1970