沖揚げ音頭社会教育移管への構想

 浜益小での取り組み(構想段階)が 北海道大学学術成果コレクション(HUSCAP)に掲載されています。→こちらから

 

地域の力を結集した「浜益小学校沖揚げ音頭」の再構築
子供たちの心のよりどころとなる郷土愛のICT環境を生かした涵養

                          石黒隆一 (江別市立江別太小学校)

【浜益、地域と学校の状況】

 私は、平成22(2010)年度から3年間、校長として石狩市立浜益小学校に勤務させていただいた。「伝統文化の継承」「ICT活用教育」をキーワードとして、浜益小学校での人と人の結びつきに支えられた経験を報告させていただく。
浜益小は、石狩市の北端に位置し、暑寒別天売焼尻国定公園を校区に有するへき地3級の小規模校である。
地域は、かつての基幹産業であった漁業の衰退を主な要因として、人口の流出と少子高齢化という課題を抱えている。平成23(2011)年3月に浜益高校が閉校し、公共交通機関による通学手段を確保することが不可能なため、浜益の子どもたちは義務教育修了後、故郷を離れることを余儀なくされている。小学校の児童数も減少の一途をたどり、私が転出した後には50名となり、2年3年と4年5年が同じ教室で学ぶ複式校となった。

 

揚げ音頭が直面した危機と再構築の兆し

 浜益は石狩湾北部の日本海に面し、かつて鰊漁で繁栄した地域である。浜益の教育は明治11(1878)年の浜益教育所設置に始まる。多い時には地区ごとに計10校の小学校が存在していたが、人口の減少に伴い、現在は浜益小1校に統合されている。校内には各学校の沿革史やアルバムをはじめ長年にわたる教育資料が集約されている。その中で印象的だったのは、物置に保管してある鰊漁の漁具と、三艘の漁船であった。これは浜益小で取り組んできた伝統芸能で

ある沖揚げ音頭に使う学校の備品である。
 かつて、春先の群来(くき)を迎え、期待に胸をいっぱいにして沖に向かった漁師たちの姿を再現して、浜益小の沖揚げ音頭は始まる。起こし船に乗った子どもたちが腰に力を入れ、息を合わせて鰊であふれる網を起こしていく。この時に歌われる労働歌が沖揚げ音頭である。
 浜益小の沖揚げ音頭は、例年9月中旬に行われるふるさと祭りで披露している。お年寄りをはじめとする地域の方々と観光客は、力強い中にも哀調を感じさせる沖揚げの歌に往時の大漁の風景を偲んでいる。子どもたちにとっては、本物の漁具を用い、実際に鰊漁を経験した人からあらゆることを直接教えてもらう価値ある体験学習の機会である。ところが、私が赴任した平成22年4月時点で、沖揚げ音頭は実質的に存亡の淵に立っていた。

   私は教頭の初任校が浜益と校区を隣接する厚田中学校であり、平成15(2003)年に浜益小の沖揚げ音頭を見た経験がある。日本海に面し同様の歴史を持つ厚田地区で、地域に根ざした活動の重要性・教育的価値を学んでいただけに「これぞ地域の財産」と深い感銘を受けた。
その浜益小の校長となることが決まり、引継ぎのために訪れて、この時の感銘を話題にしたのは当然のことである。
ところが、前任校長は意外なことを話された。
「沖揚げ音頭は、学校でやらないことにしたんです。」
2011年度から、実施主体を社会教育(石狩市教育委員会浜益生涯学習課に)に移し、学校の教育課程から外すということであった。理由は、総合的な学習の時間の時数削減による教育課程の見直し、指導者の高齢化と病気入院、教職員の負担軽減とのことであった。驚き、残念に思いながらも、既に対外的な合意も得た決定事項と説明を受け、引き継ぎ書に署名捺印せざるを得なかった。
着任して、学校が主体となる最後の沖揚げ音頭の準備が始まる季節になった。その頃になって、決定した方針では沖揚げ音頭の社会教育移管は、おそらくうまくいかないという認識を持つにいたった。「学校から離れたら参加を希望する児童が激減して、成立しなくなるのではないか」といったことが、教員や保護者の間でも話題になっていた。
しかし、対外的な確認事項と校長間の引き継ぎ事項を反故にして、今まで通り学校の取り組みに戻すことは許されない。かつて子どもたちの沖揚げ音頭を実際に見て、感銘を受けた私にとって、自分が校長となった時に沖揚げ音頭が衰退あるいは消滅するという現実は耐え難いものであった。

  私が着任した当時の浜益は、産業の衰退、合併による旧村の廃止、1年後の高校閉校、避けることができない小学校の複式化と、どうしても暗い話題に陥りがちな状況であった。義務教育を修了した時点で、故郷を離れなくてはならない子どもたちであるだけに、故郷を離れても心のよりどころになる「郷土愛」を育てていきたいと、強い思いを持っていた。
豊かな自然、歴史と文化、地域人材の支援など、様々な強みを持つ浜益だが、郷土愛を育てる主軸は沖揚げ音頭であろうと、重要性を再認識した。校長としてのリーダーシップを発揮して、「学校から社会教育へ移管」という合意事項を尊重した上で、沖揚げ音頭の再構築を図る新しい案を構想することにした。

 

浜益小で復活した沖揚げ音頭 

 1989年、歌詞が採録され楽譜に起こされた沖揚げ音頭は、子どもたちに伝えられた。
「あの岬かわせば また岬ではる ホイーヨー」
「ヤーシヨイサー」「ホーラドッコイショ」
という懐かしい響きが校舎に響いた。
 最初の発表の場は平成元年度の卒業式だった。当時公務補として勤務していた野村賢治郎さんは若い頃に漁師として鰊漁を経験したことがあった。かつて結婚式で沖揚げ音頭が歌われていたことを思い出し、地域の人が大勢集まる卒業式で、練習の成果を披露することを提案した。卒業式で子どもたちが元気よく歌う沖揚げ音頭を聞いて、参列したお年寄りや保護者は涙を流して感動したという。


この成功を機に、沖揚げ音頭を浜益小で本格的に伝承しようという意識が高まり、平成2年度になるとすぐに、学校とPTAによる沖揚げ音頭保存会が結成された。
歌に合わせて鰊漁の様子を可能な限り再現しようということとなり、保存会は地域に呼びかけて漁船や漁具を寄贈してもらうとともに村からの補助金で衣装などをそろえていった。当時の教員たちは、鰊漁の経験者に聞きながら、かつての情景を再現するよう演出に工夫を凝らした。
本物の船や実際に使われていた漁具を駆使して再現された浜益小の沖揚げ音頭は、毎年行われるふるさと祭りを中心に、石狩管内PTA研究大会や学校の研究会、地域の行事などで披露され、浜益の歴史と誇りを伝える取り組みとして多くの人に感動を与えてきた。
実は、20年にわたる取り組みは、すべて順調だったわけではない。用具がそろい演技内容が固まった2年ほどで保存会は活動を休止し、その後、実質的に学校だけの取り組みになっていた。旧浜益村の黄金小、中央小、北部小の統廃合で、浜益小が開校した平成11(1999)年度には、3校の公平性を根拠に沖揚げ音頭の廃止が議論された。そして、総合的な学習の時間の時数大幅減等を理由として、平成23年度から沖揚げ音頭の実施主体を学校から社会教育に移すことが合意されていたのは既に説明したとおりである。

 

地域全体の力を生かす沖揚げ音頭再構築と新しい沖揚げ音頭保存会

 さて、私が不本意ながらも引き継いだ合意事項は「学校から社会教育へ移管」である。引き継ぎの案では、市教委浜益生涯学習課という3人しかいないセクションに移すことになっていた。その後、専任課長が廃止されて実質25人体制となり、合意時に運営者として想定していた社教主事の有資格者が転出するという厳しい状況になっていた。受け皿である教育委員会の新しい担当者も、頭を抱える難題であった。
この引継ぎ案に対して、私は「学校から社会教育へ移管」という合意事項を尊重した上で、新しい構想を提案することにした。創成期に活動し当時休止していた「沖揚げ音頭保存会」を再編し、地域全体の力をまとめて子どもたちの取り組みを支えようという「学社融合」という手法を生かした考え方である。実施主体を学校単独から、地域による保存会とすることで、社会教育へという趣旨を尊重できることも重要であった。
具体的には次のような提案を行った。
・実行主体を「浜益沖揚げ音頭保存会」とする。地域行事として幅広い層に参加を働きかける。
・会長は合意事項を踏まえ、浜益生涯学習課を所管する石狩市浜益支所長に依頼する。
・PTA会長を副会長、PTAを正会員として、児童が原則として全員参加することとする。
・事務局は生涯学習課主査と小学校教頭が担当する。
・観光協会や漁協、農協などに参加を呼びかける。
・学校の負担軽減のため、物品の管理と運搬を生涯学習課が担当する。
・指導者の引き継ぎのために、指導班を組織する。

  この構想は、関係者にたいへん好意的に受け止めていただくことができ、平成23年5月31日に「沖揚げ音頭保存会」再編総会を開催できた。
総会には、各団体から多くの方に参加していただくことができ、浜益支所長の渡邉隆之さんを会長とする新たな体制、および具体的な活動計画が承認された。
漁業協同組合からの強力な支援をいただくこともできた。再編した保存会の新しい取り組みとして実現したのが「漁師さんの出前授業」である。子どもたちに鰊漁を知ってもらいたいという願いから4年生から6年生を対象に2回の特別授業を行った。
「繁栄していた当時の鰊漁」という授業では、鰊漁最盛期から漁師を続ける前石狩湾漁協組合長の中村東伍さんにお話をお聞きした。会場の浜益郷土資料館に展示してある当時の漁具や建網の模型を使いながら、春先の番屋の準備、漁の仕方、水揚げした鰊を釜ゆでして鰊粕を作る方法などを詳しく説明していただいた。
「復活した現在の鰊漁」は、石狩湾漁協青年部による授業だった。石狩市の漁獲高の推移から鰊が復活してきたことを示し、栽培漁業による稚魚育成や実際に漁をしている様子を映像で紹介した。その後、実際の網を使い、網目を大きくして小さな鰊をとらない資源保護など、現在の鰊漁の工夫を教えていただいた。

  継続性のある指導体制をつくることも、新しい保存会の課題であった。指導班の班長は、元PTA会長の佐々木茂雄さんに依頼した。佐々木さんは地域の劇団として内外から評価の高い「浜益小劇場」の代表をされていて、文化活動の運営や指導に実績がある。演劇の演出経験を生かした指導によって子どもたちの動きが生き生きと変化していった。
 2011年度の練習と準備は順調に進み、浜益ふるさと祭りでの発表を待つばかりになった。これまでの組織再編成の動きや漁師さんの出前授業が、新聞で報道されていたこともあり、地域や保護者の期待は高まっていた。子どもたちも自信とやる気にあふれていた。「漁師さんの出前授業」を通してかつての鰊漁の仕方を映像などで学習し、子どもたちが全体の流れや自分の担当する役割を熟知していたため、一つ一つの動作が意味を持つ、質の高い演技が実現できた。
演技が終わり、観客から大きな拍手。地域の伝統文化を伝承した喜び、感動、誇りで子どもたちの顔は輝いていた。
存亡の危機を脱して、沖揚げ音頭の新しいステージが始まった。

 

浜益小のICT活用教育と郷土愛の涵養

 浜益小には、2011年に全国的に最先端と言っていいICT教育環境が、石狩市と石狩市教育委員会独自の事業として整備された。電子黒板、タブレットPCを中心としたハードと、デジタル教科書、教育総合ソフト、協働学習ソフト、クラウド対応ドリルシステム等のソフトにより、きわめて充実した学習環境が実現した。
 田岡市長が、僻地校にフューチャースクール紅南小と同様のICT環境を整備することによって、教育効果を高めたいと構想して下さったことが導入の経緯である。以下、田岡市長の浜益小ICT整備に関する談話を紹介する。

 「旧厚田村・浜益村との合併により、石狩市には、札幌市に隣接し宅地化の進む地域もあれば、少子化・過疎化の問題を抱える地域もあり、生活環境の異なるさまざまな地域が存在しています。都市部から離れた地域において、都市部に遜色ない教育機会を提供して教育の質を高め、それぞれの地域の教育環境に格差がないようにすることは、私たちの使命です。また、中学校を卒業して他地域の高校に通学する生徒も多いため、小学校の早い段階から、将来にわたって自分自身の心のよりどころとなるような郷土愛を涵養することが、とても大事だと考えています。」
 「確かな学力を身につけることは、これからの時代を生き抜く生活の糧となるものです。グローバル時代には、英語の語学力も不可欠でしょう。ICTを活用することで、確かな学力が身に付くことに期待しました。」

「さらに、ICTを活用した他校との交流などを通じて、自分たちの暮らす地域の自然や文化の豊かさやすばらしさに気付き、生まれ育った石狩市を愛する気持ちをしっかりと持ってもらえればと願っています。」
このような経緯で導入されたICT環境は、浜益小の教育に、非常に大きな変化をもたらしてくれた。
最も活用する機会が多かったのは電子黒板である。書画カメラとあわせて実物を拡大する機能は、子どもたちの集中力を高めた。「彫刻刀の安全な使い方を教えるのに便利」などと、先生たちの間で効果が蓄積されていった。ノートを拡大することで子どもたちは発表がとても上手になった。デジタル教科書や動画などを活用した工夫のある授業は、子どもたちを引きつけた。
タブレットPCは子どもたちを夢中にさせた。個人の学習記録が残るドリルはやる気を引き出した。協働学習ソフトは、仲間とともに考えるツールとして新聞やプレゼン、ホームページ作りに役立った。スカイプで表示される映像で、アフリカの子どもたちと交流できた驚きは、印象的だった。
姉妹都市キャンベルリバーの小学生との交流も実現できた。人形を相互留学させて、人形が経験した出来事を子どもたちが替わりにフォーラムに書き込む「テディベアプロジェクト」という取り組みである。

 ICT機器が導入された当時の熱気を伝える教員の感想を紹介したい。 
「ICT機器を活用した授業を実際に始めてみて、子どもたちの授業に対する関心が非常に高くなったことを実感しています。タブレットPCを操作する表情は、真剣そのもの。電子黒板を見つめる目の輝きが違います。電子黒板の使いやすさについて、当初は導入を懸念する声もありましたが、教師もすぐに慣れて、授業に積極的に活用しています。電子黒板を活用できるようになり、授業準備に費やしていた時間を有効活用できるようになり、効率がよくなったとの評価も得ています。」

 学校関係者評価の際に、ある保護者は次のような感想を話してくれた。 
「タブレットPCが一人一人にわたると、バラバラに勉強する場面が多くなるかと思っていましたが、それを使いながらグループで話し合い、協力しながらホームページを作る学習を参観日で見て、驚きました。ここまで使いこなせるなら、学力も上がってくるのではないかと期待しています。」

 田岡市長の願いは現実となり、浜益の子どもたちを取り巻く世界は大きく広がっていった。

  さて、私が在籍した時期の浜益小では、地域課題と学校教育目標をふまえ、学校経営の重点を次の2点としていた。

「新しい時代に通用する確かな学力の定着」
「郷土を愛する心と絆を大切にする広い視野の育成」(平成24年度の重点)

 確かな学力を育てるために、ICTの活用が有効なことはもちろんではあるが、郷土愛や広い視野を育てる上でも、ICTの活用はきわめて高い効果があった。学校経営の重点のうち「郷土愛の涵養」については、「浜益の魅力を伝えよう」というテーマで、沖揚げ音頭などをホームページにまとめて発信したり(6年生)、プレゼンソフトを用いて紹介したり(5年生)、壁新聞を作ったり(4年生)という取り組みを通して、達成していくことをめざした。
このうち、ホームページで、沖揚げ音頭などを紹介する学習では、協働学習ソフトを用いた集団による思考を深める手法ですすめ、完成度の高いコンテンツを公開することができた。この授業の様子は文部科学省の三谷調査官が参観された。また、文科省委託事業「国内のICT教育活用好事例の収集・普及・推進に関する調査研究」事業に掲載された。 完成したホームページは、海外を含めた他校との交流に生かすことができ、子どもたちの自信につながった。

 

 

子どもたちの自慢となった沖揚げ音頭。いつまでも心のよりどころに 

 北海道新聞別冊の小学生新聞に、「ぼくのわたしの学校じまん」という連載がある。浜益小に平成24年12月8日掲載分の依頼があった。5・6年生全員に「学校の自慢できること」を書いてもらい、整理させた。すると全員が沖揚げ音頭をじまんとして書いてくれた。「沖揚げ音頭は、もう23年も続いています。浜益小は浜益に伝わる歴史を大切にしています。私たちが卒業しても、ずっと続けてほしいと思います。私たちは、浜益の自然や伝統について、地域の方からたくさんのことを教えていただいています。私たちを応援してくれる地域の方に、感謝の心を持てるような思いやりのある学校にしたいと思います。」
 今回、沖揚げ音頭の再構築を行ったことにより、地域の大人たちが力を合わせて自分たちの取り組みを支えてくれる姿を見て、子どもたちは人と人の絆の大切さと、大人たちが故郷・浜益への強い思いを感じてくれた。
自分たちが地域活動を活性化する一員として参加した成功経験、その内容と価値を整理して発信した経験、さらにお年寄りをはじめとする地域住民から感謝される経験を持ったことで、沖揚げ音頭再構築で目指した郷土愛は、しっかりと子どもたちの心に定着した。
将来いったんは故郷を離れたとしても、「ヤーシヨイサー」「ホーラドッコイショ」というかけ声が、大人になった時も記憶として残り、故郷浜益の情景と人と人との結びつきが心のよりどころになってくれることを願っている。

 

【参考文献】
・石橋源『浜益村史』、浜益村、1980
・今田光夫『ニシン文化史』、共同文化社、1986
・高橋明雄『鰊-失われた群来の記録』北海道新聞社、1999
・日本海沿岸ニシン漁労民俗資料調査報告書『ニシン漁労』北海道教育委員会、1970