番屋模型とジオラマの見どころ

煙出し(けむだし)

鰊御殿というイメージに共通するのは、屋根に載る入母屋造りの「望楼」のようなものです。作りがとても立派なので、当時を知らない人は、漁を見張る場所と思うようですが、鰊漁では「沖泊まり」といって船に泊まり込み、船頭が探り糸で、鰊の群来を確かめていたので、陸から見張ることはありません。この部分は、煙出しといって、いろりとかまどから出る煙を外へ出す所。中から上を見上げると、梯子も床もないことと、紐で窓を開閉する仕組みが確かめられます。

 

 

和洋折衷(わようせっちゅう)

    

 上の2枚の写真は、屋根の内部の作りで小屋組みといいます。左の写真は、三角形に柱を組み合わせたトラス構造で、体育館のように柱がない漁夫の生活空間・ダイドコロの「洋組」です。右の写真は、親方や家族が住む、ふすまや畳敷きが特徴の和風建築にふさわしい「和組」です。一つの建物の右と左に、和と洋の全く違う構造を取り入れ、外から見ると、それが分からない巧みな建築が、白鳥番屋の特色です。この他にも、窓の作りなど建物の右と左に、和と洋の特色が隠されているので、調べてみてください。

 

廊下(ろうか)の壁

  廊下は、沖揚げした鰊を雨を防いで一時的に保管する倉庫。漁期には、鰊の出し入れに便利なように壁板を取り外していました。漁期以外には、壁板をはめ込み、船や漁具の保管場所とし、その時のための入り口が設けられています。模型も、柱に溝を掘り、壁板を外せるようにしています。外した壁板と入口がどこにあるかを探してください。

 

 

網倉(あみぐら)

  貴重な財産であった網類を保管する網倉は火災をおそれ、他の建物から独立して建てられました。湿気や網に残ったカズノコを狙うねずみの侵入を防ぐため、高床式としました。土台と壁の間には「ねずみ返し」が付けられています。

 

黄金山(こがねやま)

  「浜益の銘酒 黄金山」という酒樽が、まかない倉にあるのが見つかるはずです。その名の元となった「黄金山」は暑寒別天売焼尻国定公園内に位置する浜益のシンボルといえる標高739メートルの秀峰で、その姿から「黄金富士」「浜益富士」と呼ばれています。

 浜益米を使った「黄金飛沫」というお酒はかつて実際に販売されていました。

 

 

まだまだ見どころ満載

 流れを伝える模型と実物を一度に見較べることができるのが、はまます郷土資料館の魅力です。船の後ろにある「化粧板」という飾りのモチーフはある動物。館内に飾られている実物の化粧板で答えがわかります。

 

他にも、まだまだある発見を楽しんでください。

 

 

何人いるの?

番屋本体が完成して最初に公開した時の人形は30人くらい。周囲の作業風景を作り始めてから、必要な人形の数がどんどん増えて、最終的に70人になりました。数えてみてください。

 

他の人はどこにいるの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

内田五郎

鰊場物語より

 

 

 白鳥漁場には100人くらいが暮らしていました。このジオラマにいるのは70人。後の30人はどこにいるのでしょう。正解は海の上。
 鰊を待って、漁夫たちは枠船と起こし船の中で沖泊まりをしていました。写真は浜益小沖揚げ音頭で網起こしを再現している子どもたち。


 

浜益小学校の沖揚げ音頭と保存会

「あの岬かわせば また岬ではる ホイーヨー」
「ヤーショイサー」「ホーラドッコイショ」
 鰊漁が盛んだった時代の様子を今に伝えるため、浜益小学校では、例年9月中旬に行われるふるさと祭りで沖揚げ音頭を披露しています。お年寄りをはじめとする地域の方々と観光客は、力強い中にも哀調を感じさせる沖揚げの歌に往時の大漁の風景を偲んでいます。子どもたちにとっては、本物の漁具を用い、鰊漁を再現する価値ある体験学習の機会です。
 子どもたちの取り組みを支えているのは、学社融合によって地域の力を結集した沖揚げ音頭保存会である。会は、行事の運営や演技指導だけでなく、長く漁師を続ける会員によって、繁栄していた時代の鰊漁を郷土資料館にある本物の漁具や建網の模型を使いながら教える活動などを行っています。
 地域の大人が自分たちを支えてくれる姿は、子どもたちに人と人の絆の大切さと、故郷・浜益への強い思いを伝えています。地域の伝統文化を伝承する喜び、感動、誇りが、子どもたちの郷土愛を育てています。

 

伊井義人監修『フューチャースクール 地域の絆 学びの場』六耀社・2014年に、6代校長・石黒が、浜小沖揚げ音頭の詳細を執筆。内容を知りたい方は、webで「沖揚げ音頭 執筆本」と検索を。